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【アラベスク】  第10章 カラクリ迷路



第4節 狐媚霞 [6]




 そこで廿楽はガバリと両手で顔を覆う。泣いているのか、泣いているフリをしているのか、そんな事は今は大した問題ではない。
「幸い、華恩は一命を取り留めました。意識も回復は致しましたが、だからと言って許されるものではありません」
 指の隙間から声を漏らす。
「山脇瑠駆真の犯した罪は明白です。それに」
 廿楽は再び浜島を見上げる。
「山脇という生徒は、あの大迫という生徒との間に繋がりがあると言うではありませんか」
 大迫、という言葉に、浜島は眉を潜める。
「今回の件だって、大迫という生徒が、自分の謹慎は娘のせいだとあらぬ疑いを持ち、山脇という生徒を使って嫌がらせをしたのだと伺いましたわ」
 そう言ったのは、意識を回復した華恩自身だ。華恩が言ったとなれば、唐渓の生徒はそれに合わせるだろう。たとえそんな事実が無かったとしても、華恩がそう言えば皆もそうだと口を合わせるに決まっている。
「自分の行為は棚に上げ、(よこしま)な考えで無関係な人間を極限にまで追い詰めるなど、狂気の沙汰としか言いようがありません。恐ろしい事です」
「私も同意見です」
 早口で捲くし立てる廿楽の言葉の隙間に、浜島は無理矢理言葉を捻じ込ませる。
「大迫美鶴はもちろん、山脇瑠駆真についても、早急に処分を下すつもりです」
「ぜひお願いいたしますわ」
 廿楽は強く頷き、唇を噛み締めてふと視線を逸らした。
「そもそも、山脇という生徒は、どのような素性の生徒なのですか? 親とは離れて一人で暮らしているのだと聞きましたが」
「外国人との混血だと聞いております」
「外国人?」
「えぇ、父親が外国人。母親は日本人ですが、すでに他界していると」
「詳しい事はわかりませんの? そのような生徒を、唐渓がいとも簡単に転入させてしまうなんて」
「どうも父親がかなりの資産家だとかで、私の方へ知らされた所得などの点では唐渓に転入するに問題はないかと思ったもので」
 転入試験の成績にも問題はなかった。父親が外国人というのは気になったが、理事長からまわってきた父親の素性や、山脇瑠駆真本人の住所の情報で不審と思われる点はなかった。それに、転入を許可するのは浜島ではない。理事長や他の役員に異を唱える事はできるが、浜島の手には決定権は無い。
 こういう事件が発生すると、やはりもっと権力のある立場に昇るべきかという考えが頭を過ぎる。

「あら、校長という立場を、そのような色眼鏡でごらんになるの?」

 真っ赤なスーツを見事に着こなす若くて有能な理事長秘書が、脳裏でクスッと笑った。
 浜島は、眼鏡をズリあげる。
「どうかなさいまして?」
 黙りこんでしまった相手を訝しく思う廿楽。
「あぁ いいえ」
 今は自分の立場などに気を取られている場合ではない。
 浜島は言い聞かせる。
 それよりも、山脇瑠駆真だ。
 まさか、このような事件を起こす生徒だとは思わなかった。理事長へ求めて、詳しい素性を教えてもらっておくべきだったか。
 浜島にまわってきた情報では、父親の職業は外交官とのことだった。
 大迫美鶴と山脇瑠駆真。二人の退学は決まったようなものだ。だが―――
 今からでも、調べておくべきかもしれないな。
 浜島の瞳に天井の明かりが反射して、まるで蛇のようにチカリと小さく光った。





 車の窓から外を眺め、その景色に美鶴は小さく生唾を飲んだ。
「ここは?」
 呟く声が心なしか震える。
 眩しいほどの明かり。ネオンサインと呼ばれる派手やかな看板の文字や絵柄の中を、車は澄まし顔で進んでいく。
 陽が沈んでから活気づく世界。幻影や虚像や一夜の夢が入り乱れる世界。現実という殺伐とした世界に重厚な扉で抵抗しようとする世界。
 母が職場とする世界。
 安価な飲み屋が立ち並ぶかと思えば、一本路地を変えると、高飛車な高級料亭がデンッと立ち塞がっていたりもする。
「霞流さん?」
 振り返ってみても、霞流は黙って真っ直ぐに前を見つめたまま。臨海公園で車に乗り込んで以来、一言も口を開いてはいない。
 どこへ行くんだろう? こんなところをウロついていたら、母と遭遇してしまうかもしれない。
 母とは、顔を合わせたくはない。
 憂鬱な気持ちで俯いた時、車は前置きもなく、だがゆっくりと止まった。
「降りましょう」
 短く促され、運転手に開けてもらったドアから仕方なく降りる。霞流は運転手に目で合図をし、無言で美鶴を促す。
「どこへ?」
 聞く美鶴に、霞流は目を細めて笑う。
「いずれわかりますよ」
 意味ありげに口元を緩め、そのままゆっくりと歩き出す。
 すれ違うのは、異世界の住人。毳々(けばけば)と着飾った女性。虚ろに夢を見る男性。一人で、あるいは数人でゆらゆらとすれ違い、夜のどこかへと消えていく。
 まったく知らない世界ではない。小さい時には、母の店で夜の時間を過ごした事もある。
 そうだ、ここは母が根城とする世界だ。
 この世界のどこかに母がいるのかもしれない。ひょっとしたら、母を犯した男のような存在も―――
 酒やタバコの臭いも漂っているのだろう。歩くうちに、美鶴は胸に不快を感じ始める。
 霞流さん、こんなところで何を?







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